隠れ里といえば、忍者の里や落ち武者の里、
仙人の住む桃源郷まで、人々の心を惹きつける魅力があります。

でもそれはフィックションの世界の話で、
実際の所、誰にも知られないように下界と交流を断ち、
村人達の中だけ経済活動や子孫繁栄を完結させる
ことなんて無理な話ですよね。

ですが、長い日本の歴史の中で、
たった一度だけ(と言われている)、隠れ里が発見された
という記録が残っている場所があります。

それは、現在の静岡県浜松市、石切川の上流にある
春野町石切という里で発見されました。

時は江戸時代の中頃です。

険しい山が連なるこの一体で人が住んでいる場所は
この石切の里まで、そこから先は人など住んでいない
と思われていました。

しかしある洪水の年、この里に上流から
お椀などの食器が流れてきたのです。

里の人は驚きました。
ここより更に上流に誰かが住んでいるのか?

調べに出た所、なんとこの石切川の上流に、
記録に載っていない里があることがわかったのです。

里の名前は小俣京丸
(小俣と京丸の二つの地区にわかれていたようです)。

里の人全てが藤原の姓を名乗り、
何世代にもわたりこの隠れ里で生きてきたということでした。

明治時代に入り、この隠れ里の発見に多くの学者達が興味を持ちました。
この隠れ里の先祖は何者だったのか?

古い記録は失われており、推測することしかできませんが、
有力な説として、南北朝時代、長野や静岡で活躍した
南朝の皇子の末裔
なのではないかといわれています。

そうだとするならば、実に400年の間
この里は人々に知られずひっそりと隠れていたことになります。

現在この里は最後の住人が家を引き払い廃村となってしまいました。
更に水害によってがけ崩れがおこり、廃墟も土の下へと還ろうとしています。

里へ続く道にはゲートが作られ、
許可無く立ち入ることは出来なくなっています。

隠れ里は謎を秘めたままで消えてしまうのが、
ロマンなのかもしれませんね。